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PEACH MELBA

#統合失調症#薬害#今は寛解して明るく前向きに生きてます。闘病日記からつぶやきなどマイペースに更新します

【鬱や精神科に通う全ての方々へ】



普通に生活出来る方々で、
精神薬を服用している人の悩み。

それは、完治したんだと思われる事ではないでしょうか?

 


①健常者の人達に治ったように見られている。
②以前のようになんでも出来るんだと思われる
③完治したと見受けられ期待される

等で誤解を受けやすい事ではないでしょうか。

元気になっているので周りには当然、

健常者に戻ったんだな。とみられます。

しかし、

精神薬を服用している人は健常者の方の3倍は疲れてしまうので

起きてるだけで精一杯頑張っていますよね。

精神薬を飲んでいる方々は、

『健常者よりも毎日が眠気との戦いと、ダルさは3倍』

『重たいおもりを背負っている』

と考えて下さい。

見た目は普通に見えていますが、

実際は、健常者の人の3倍おもりを背負って頑張っていると考えてくださいね。

だから、

世間一般の人は怠けているとか

ダラけていると思ってしまうそうです。

それは、

薬の副作用の眠気があるので仕方ないのです。

まず眠気のない精神薬など絶対にありませんから。

健常者の3倍は疲れて過ごしてます。

健常者の人達に理解してもらいにくいのが今の現状だと思います。

精神薬を服用されて同じような悩みを抱えている、、、

そんな患者さんはたくさんいると思います。

仕事をしながら精神薬を服用されていたり、健常者の方達と接する機会がある方なら

ものすごくプレッシャーだったりすると思います。

真面目な方なら尚更自分を責めて負のスパイラルになりかねませんよね?

誰か一人でも理解して頂けるだけでも

心強く、回復も早くなります。

記事を読んでいる精神疾患の方がいましたら、

少しだけ自分を褒めてあげて下さい。

健常者の人達だって精神薬を服用してしまえば

やる気や元気もなくなり普通にダルさと眠気に悩みます!!

だから、
自分は何も出来ないとか、怠けているとか思わないでください

自分を責めたら薬に負けてしまいます
自分のせいでは決してありません!

精神薬を飲んでいるから。

当たり前と思って自分を許してあげて下さいね。

 

母の日/そしてはじめての異変

私の病気は、全てここからはじまりました

母の日っていうのは、いつも忙しい頑張っているお母さんに、感謝を込めて、

ありがとう

って伝える日


健康で明るくて、私がどんなことがあっても一生懸命支えてくれた母

あっと言う間だね。

 

私は、バツイチ出もどり。

病気持ち、

更には、4人の自分の子供を置いてきてしまった。

今では、ラインでたまに連絡するけど。

正直…

周りからは、いい歳にもなって仕事もせず子供置いてきて実家暮らしの出もどりバツイチ。

というBADなイメージ。

どんなに、頑張っても

世間の目線は厳しいのだ。

若い時に結婚して近所の母の周りの方には、いつも『頑張ってるねー!偉いね』なんて言われてたけど、

離婚しちゃうと、『やっぱり無理だと思ってたのよ~』とか?噂になる

悪い事してないのに、悪口言われてしまうのだ。

まるで手のひらを返したかのように。

更に厄介なのは、

病気だと分かりづらい。

かといっても病気だと公言しても、またまた面白おかしく近所のオバさまの話のネタになるだけだ。


最近…私の仲良かった昔からの友達も、以前会った時に、無視されて睨まれた。

すごくショックだった。

上京している何人かの昔からの友達も、めっきりメールしても返信がない。

え?私嫌われものですか!?


別に働く気がないわけでもない。

それなりに、努力して何度もハロワで紹介してもらい面接しては幾度となく落ちた。

身体障害者には優しく、
精神障害者には厳しい。

精神障害者ってきくと、サイコパスとかキチガイみたいなイメージ?

 

私は確かに変わっていると思います。

完璧主義というか、、
目標の達成の為なら我が道を貫き通すし、変な所に頑固で潔癖です。

 

結婚してからは長男の嫁として同居しました。
何も知らない私は、

毎日朝早くから稼いでいました。


それなりに精一杯努力した方だと思う。

努力すればなんとかなるってね!

それが普通だと思ってたのよね


真面目にさえやってればいい事ある。

そう頑張ってた。


結婚も

周りの友人達で一番早く結婚。


子供もいて家庭的な奥さんになり、

 

みんな『いいなー』

って言ってた。
羨ましいと言われて

それなりに幸せだった。

というか、

これが、幸せなんだと思って頑張った。

じゃなきゃやっていけないから。

気がつくと20代から30代の頃は周りの友達も、結婚していった。

 


22歳に出産、育児、家事
24歳に出産、育児、家事
26歳に出産、育児、家事
28歳に出産、育児、家事

しかし、

同居して、あんまりいい暮らしとは言えなかった。

子供達を産んだことは後悔していない

むしろ、助けられていた。

自分の居場所。

自分の素顔、、、

自分らしくなっていられる時は、

子供達と接してる時だからだ。


あ、やっと私になれる。ってね。

家事は私にとっては、同居ともなるともはや人様のお屋敷の借りた台所。

気を遣いながらもなんとか?
頑張ってた

お風呂、トイレ、居間、旦那との部屋も

全てお父様、お母様のお家だし。

睡眠時間もろくにないと心にも余裕が無くなる

旦那に当たり散らす時もあり、

旦那は仕事から疲れて帰ってきて、

情緒不安定な嫁を面倒だと思っていたのだろう

あまり、心配することはなかった。

私が面倒な奥さんだったと思う

っていっても、

家事育児、普通に考えて
出来て当たり前だ。

泣いてる子供を抱きしめ、
私も泣きたいって思ってた。


誰にもねぎらいの言葉をかけてもらう事など当たり前だか、

なかった。

最初の頃はあったけど、
慣れとはおそろしい。

私は身体が何個あっても足りないくらい忙しかった。

頑張っても頑張っても

誰にも家事育児褒めてもらえない。
当たり前かもしれないが。


自分の存在価値が分からなくなった。

周りの人に、

『専業主婦って楽よねーっ』
共働きの主婦に言われたが仕方ない。

『同居は楽でしょう。金銭的にさ。』って言われても私がみんなより恵まれていると思って、むしろ頑張って稼いだ。

挙句の果て、
『よく無計画に産むね』

と言われて何も言えなくなった。

恥ずかしくなったと共に腹ただしさが増した。

なんとも言えない空虚感を味わい

グサッと来た。

無計画どころか、

子供大好きだっただけなのに。

『お金持ちは良いよね~』

これは、さすがにイヤミに聞こえてくる

 

お金持ちというわけではなくて、

むしろ周りにはそう見えたのだろう

私は何にも出来ないギャルだと思われていたのだろうか。

若いというだけで女達は意地悪したくなるのか、私に責任重大な会計やら副会長やら
いや、会計と会長の仕事まで任せられてしまった。

誰も助けてくれない。
みんな、仕事して忙しいとかで私がやる羽目に。


私が行き詰まったのは初めて寝れなくなってしまった事から始まった


更に、寝てないから頭が回らない。

あれ?いつも出来たのが出来ない!

私はますます悲しくなって1人で泣いていた

朝はまってくれない。

朝から頭真っ白泣いて家事をする日々が続いた。

一番下の子が『おかあさん~』『抱っこして~』『おかあさん聞いてんの~』

全く聞いていない。

いや、頭に何も入ってこないのだ。

そんな異変に誰も気がつかない。

当然だ。みんな自分のことで忙しく構ってられないし、みんな生活に時間に追われ必死、


私がミスをしたら旦那さんはいつもの、ノリで辛口でイヤミを言っていただけなのかもしれない。

私の頭の中では、すべてが冗談も通じないくらい弱っていたのか?

ほんのイヤミでも悲しくなって1人で隠れて泣いた

もちろん、旦那さんは何?みたいな感じだと思う。

次第に私がヒステリーに過敏になり2人の喧嘩も絶えなくなってしまった。

何で泣きたいの?
何で喧嘩しちゃうんだろ?
何で前出来た事がだんだん出来なくなるの?

そして、やがて、役員とやらの仕事が終わり、ホッと気が抜けた瞬間、頭真っ白にフリーズしてしまっていた。

見えないものが見えたり←幻覚

聞こえないものが聞こえた←幻聴

悪夢しかみないから寝れない←不眠

統合失調症の陽性症状

統合失調症は精神性ストレス、遺伝からくるそうです。

うつ病を通り越して、
統合失調症になっていたのだ。

深刻なことに、

『こんな私は誰にも受け入れてもらえない、、、生きてて申し訳ない』

そういう考えになってしまう。

精神科は、薬しか渡さない。
けど私が満たされたかったのは、愛や理解や絆だったのかもしれない。

認められている存在価値。

薬を飲んでも入院しても
何にも生活や状況は変わるはずはない。

現実が嫌になり死にたいと毎日考えていた

かなりの重症。


実際には、もっと深刻な統合失調症だったのだというのに。うつ病としか診断されず
軽い心の風邪と言われた

さすがに幻聴、幻覚、は辛かった


渡された薬は睡眠薬精神安定剤

『全部飲んでしまえば死ねる』

こんなこと、子供がいるのによくできるなって思うでしょう?

その時の本人は重症末期の統合失調症の陽性反応で、分からないのです。

とりあえず、常識的なものもなくなります

死ねるなら良い。

そうなんです。うつ病とまた違う感じ

頑張って!と言われればプレッシャー
おかあさん~って言われればごめんね~って泣く

旦那さんに軽い冗談でも、『おい!早く~』だけでも涙

面倒くさい嫁になりました

はい!

お手上げです。

大量に薬を飲み旦那さんは心配して怒りました。

怒られると、ますます死にたい、、、

こんな感じだと思ってます。


旦那さんは心配して怒りました『ごめんなさい、迷惑かけてすみませんでした』っていう考え、
そんな当たり前な常識的なものも分からなくなりました。

言いかえます。

なるんです!徘徊したり。暴れたり。

 

今、あれからだいぶ経ち落ちつきました。

治りましたと言いたいけど、

まだ私は服薬して外来に通っています。

いっぱい飲んでいた薬もやっとあの時の1/3くらいに減りました

その当時、強めの精神安定剤朝、昼、夜強めの睡眠薬寝る前に。沢山飲んでいたのが嘘のようです。

精神性の薬は毒です。
頭は逆にハイテンションで、お酒飲んでるみたいになりました。

記憶が無いです。

そうなんです。ハイテンションでも悲しことに覚えていない私

徘徊したり自殺未遂して旦那さんたちにいっぱい迷惑かけて申し訳なかったです

手に負えない嫁、、、は、
入退院を繰り返していました。


更に、実家で静養することになり、病院も変えて、周りの人たちの話し合いの結果

やむなく離婚をしました。

統合失調症とは病気
うつ病は病気ではなく精神性障害だそうです。

私は明らかに統合失調症らしき症状でしたが、

病気としてみなされるまでに3年以上かかりました。

その当時
私は暴れたり、徘徊したりしたそうです。

やっと病気と認められて精神障害者認定とやらを受けられて、

渡されたのは

障害手帳。


多分、そのせいもあるのか、

信頼も友人もなにもかも失いました。

今、振り返ると長かった。

私が私らしくなれるまでに。


でも、幻覚、幻聴はなく、元気になって自分を取り戻しています。

薬もかなり減りました。まだまだ減薬頑張ります!
やっと私に戻れた。

大好きな本を読んだり
料理をしたり
ブログやパソコンの勉強
軽い家事などが出来たり

だいぶ復活してます。

 

そして、母の日

いっぱい迷惑かけている母親に母の日に軽い気持ちでお菓子をプレゼントしました。

ごめんなさい。

そして、私は4人の母でもあります。

こんな私を4人はどう思っていたのだろうか?

考えればキリがありません。

しかし、うつ病精神障害者になった方々への私からのメッセージです。

偉そうには言えませんが、

今、苦しくても自分を許してあげて下さい。

カラダが悲鳴をあげている自分を許して休んで下さい

 

ま、いっか。
なんとかなるさー
ぐらい

私は悔しかったんだと思います。
負けず嫌いと執着心だけで、
隙のない専業主婦になろうと必死でした。

完璧な母親
完璧な嫁
完璧な妻

になりたくて…

身体を壊している自分に早く気付くべきだと、、、

今更ながらも後悔しています。

 

長々、読んでいただきありがとうございました。m(_ _)m

 

 

 

闘病日記その1

私は今にいたるまでも波乱万丈でした。

統合失調症と名前がつくまで色々な病名をさんざんつけられていました。


ちょっとした闘病日記になります。

辛い過去の自分を書き留めたい。

そう思い…また、

統合失調症を正しく理解して欲しいと思いながら頑張って記事を書いております。

どうか、
お付き合い下さい!

でわでわ、

私は最初、元気がなくなり涙が止まらないなどといった症状や不眠を訴えてはじめて精神科へ受診しました。

軽く

うつ病』と診断されました。

うつ病』では元気になる薬が処方されるのが一般的です。

当たり前ですが、
元気になりハイテンションになりました。

楽しくて仕方がない状態が続いていてなぜか?記憶がないです。

精神安定剤で朝、昼、夕、睡眠薬で寝る前と沢山のお薬を飲みはじめます。

かなり意欲的になり元気になりました。

いつも大人しいはずの私が思った事を口にして、大声で怒鳴りちらしたり、

やがて躁うつ状態が続いてしまいます。この辺も酔っ払い状態のピークみたいで記憶が断片的です。

すると、ある日突然、、、
いきなり意欲の低下が起きてドーンと落ちました。

みんなと話しが噛み合わない。
なんでだろう。
また、落ち込むのです。

度々、テンションが高かった時の自分の行動を断片的に思い出しました。

うわーー!
なんで、こんな事をやったのか、、、

痴態を振り返り後悔の波が押し寄せます。
お酒ではっちゃけて次の日冷静に考えて

『恥ずかしい…うわー。穴があったらはいりたい。いっその事消えてしまいたい』みたいな感じです。

断片的に蘇る時期で、恥ずかしくなって自分を責めはじめます。

例えば、
なんでタバコを吸ってるんだ?
なんでこんなに買物したの?
なんで、なんで、、はいっぱいでした。

当時。まだ結婚していて主婦でした。
子供たちもいました。迷惑をかけると大変だということで、
実家と自宅の行ったり来たりの休養をしはじめます。

病院も実家の近くに変えました。
新しい病院になぜ変わったのか?私自身分、未だに分かりません。母に聞いても、

『暴れたから、警察が来て救急車に乗せられて強制入院したからだよ』

としか聞いていません。
その頃も記憶にありません。

相当強い薬を飲んでいたんだと思います。

なす術もなく両家の話し合いで離婚。

私はなぜ離婚したのかすらわからない状態でした。
子供たちと、なぜ会えないのかも分からない。

そんなこんなで、

やがて、実家に近い病院に移ります。

そこの病院は総合病院とは違う鉄格子だらけの閉鎖病棟がある精神科だけの病院。

そこで新しい主治医と出会います。

主治医は初めてお逢いした時、

母にめちゃくちゃ怒ったそうです。

『なんでもっと早くここに連れてこなかったんだ!』
『なんだこんな処方は、、、いい加減な薬の量だ!』

などと言ってきたそうです。

私の母は、なんの事だろうと思ったそうですが、、、。

主治医が、

『今すぐ薬を減らさないと大変な事になるから、今すぐにでも入院して下さい』

と、言ったらしく薬を体内から抜く為の入院がはじまります。


強制入院の中でも一番扱いがお粗末な隔離病棟で拘束され荒療治を受けました。

私のその時つけられてしまった病名は

『双極性同一性障害』でした。

薬が体内から抜け出して離脱症状が現れたそうで、
暴れる叫ぶなど、醜い離脱症状だったそうですが覚えていません。

隔離病棟は牢屋みたいな場所です。

食事も点滴。

オシッコの管が入っていてオムツまでされていたそうです。

私は記憶にないです。

ろれつがまだ回らず言いたい事を伝えるのが無理で、支離滅裂な話ししかしていなかったそうです。

私は母が面会に来たとき、赤ちゃんみたいな感じで話していたそうです。

寂しいからぬいぐるみを持ってきてと頼んだそうです。

たくさんぬいぐるみを持っていっても、これじゃない!と泣いたり、私が持ってきてほしいのは豚のぬいぐるみだったらしく、隔離病棟でぬいぐるみに話しかけたり、抱いて寝たり、していたそうです。

後から母に聞いてドン引きしましたが。

隔離病棟から閉鎖病棟へ移りました。6人部屋でした。入院して家でうまく生活できるかお試し外泊がありました。

自宅に2.3泊帰り何事も無ければ家でうまく生活できると先生は判断し退院させられます。私も外泊中は何も問題なく過ごせたみたいで、退院することに、なりました。

(退院後)

小説なのかよく分からないものを沢山のページにわたり書いたそうです。
食事を忘れて眠くない日は寝ない不規則な生活。
薬は自分で管理していました。
多分、飲まない日もあったと思います。

ある時、神のささやきのようなものが、聞こえたみたいです。


でも、私は霊感が強いだけだと思い込んでいたので、深く考えずにいたんだと思います。

元々、結婚生活の中でも、旦那さんに車のエンジン音が聞こえて眠れないので

『車のエンジン音聞こえるけど、誰かな』と聞いて旦那さんは『蛙じゃね』

みたいに言われてましたし、

子供に『あ、今あそこに狸さんがいたよ~』と言っても『どこ?いないよ』とか。

他にも下からドスンドスンと聞こえるけど、みんな寝てる。

そんな感じでなんとなく話しも噛み合わない。私は霊感が強いのかもしれない。

見えちゃう人だと思い込み本気でお祓いまで考えた事さえありました。

見えないものが見えたり聞こえたりしたのはすでにあっていたのに、私は霊が取り憑いているんだ。と本気で考えました。

『テレビさっきついたよね』私にはテレビがついて見えたりで、母にも『ついてないよ、何言ってるの』
とテレビを点検してもらうこともありました。

神のお告げらしきものを原稿用紙100枚以上にわたって書いたそうです。

(通院生活)
先生に家にこもっていても規則正しく生活できなくなるから、デイケアを勧められデイケアに通いました。

(デイケア)
朝6時に起きて支度する。
朝8時半朝礼

まるで学校です。
作業療法士さんとスタッフさんがいます。困った時の相談役です。

私よりも年齢は若いのに、看護師、スタッフさん、作業療法士さんはすごい方だらけでした。

デイケアの内容】
○健康について学ぶ勉強会
○レクレーション(カラオケ、トランプ、ゴルフ、パソコン、絵画講座、社交ダンス、卓球、バレー、クイズ、誕生日会)など。
○病気についての勉強
○服薬指導や薬の勉強
○掃除
○SST(ソーシャルスキルトレーニングの略)SSTはコミュニケーション訓練です。社会技能訓練ともいいます。
患者さんの多くは上手く自分の言いたい事をまとめて考えることが困難な方が沢山います。
だからといって全員がそうとは限らないのですが。対人関係が上手くいかず悩む方が多いのです。話し方や相手とのやりとりを勉強していく訓練をSSTといいます。


マイナスに考える思い癖もスタッフさんがアドバイスしていただきました。

デイケアは、
私にとって良くも悪くもありました。

同じような精神病で辛かった話しを分かち合い仲良くなってプライベートで次第に仲良くなれたり。

しかし、一方で中には男女の出会いを求めにくる人達もいっぱいいたんですね。

変な噂をする人や私に好意を抱く人からのアプローチ。女の嫉妬。

私は、普通に生活してデイケアに通いました。もちろん社会復帰するために。

しかし、

私は関係のないデイケアにいる男の人に被害妄想を抱きました。


『私に手を出したら先生に言うから。犯罪だからね』

などと意味が分からない事を言って喧嘩になります。

きっと、なんだこいつと思われたのか?次第に私は変な噂が沢山広まりました。


デイケアですら上手くいかず、しまいに被害妄想が酷くなっていた為に、本当に自分が被害にあったんだと思い込み

先生に本当にお手紙に助けて欲しいなどと書くなどをしてしまいました。

デイケアで私は嫌われて居場所もなく
行くのもやめました。

仲良くしてくれた女の子にも根も葉もない話しでゴシップネタにされました。

私は、また生きる希望を失います。

私はオカシイ。生きることに疲れて部屋に閉じこもります。

でも何かに支配されている気持ちになりました。

徘徊を繰り返し2階のベランダから家出して子供たちの家に行かなきゃ行けないと裸足のまま荷物をまとめて深夜にタクシーを呼んだりもしました。母たちに止めらて喧嘩になります。

ますます私は孤立しました。
母も分かってくれないと。

度々、誰かの声が聞こえてたり、いるはずもいないのに、被害妄想は強くなり、窓から誰かが覗いているようで、部屋にいるのも苦痛でした。

トーカーに会っている!
思い込みは増すばかりで、部屋で安心して寝ることも出来なくなりました。

徘徊しはじめました。

深夜の徘徊でなぜか?代行タクシーの方に警察署まで連れて行って下さい。ストーカー被害にあっていると思い警察署まで乗せてもらったり。

ここまでの私の行動の記憶は殆どないので

後に、母に聞いて驚きました。

泣きたいくらい消したい過去の自分です。

薬も飲んだり飲まなかったり。怠薬し病状はますます悪化していきました。

多分、妄想の中の幻聴や幻覚に支配されていたんだと思います。。今思うと恥ずかしい行動ばかりで消えたいと思う話ばかりです。

母もきっと同じように悩んだと思います。この子どうしたんだろうか?と。

(次々つけられた病名)
『双極性同一性障害』から『解離性同一性障害』に。

母は診察の時に、幼少期の話しを母に聞かれました。先生は軽いアスペルガーだったかなみたいな話しまでしました。

ん?なんのこっちゃ?で、
素人の私達には分からない事ばかり。


後々知ったのですが、、、

*双極性同一性障害とは抑うつと躁うつを繰り返してしまう障害。

解離性同一性障害とは多重人格です。

アスペルガー症候群とは発達障害

私は、一体何者なんだろう。

といつも不思議でした。

昔から人に変わった人と全否定されていましたし。ユニークで面白いね。と思う人が数人。
辛かったですが誰にも相談できませんでした。

(私はまちがっているの?。私は小さな頃から気づいていましたが、みんなとなんか違うなと。)

とりあえずまた、

通院→入院を何度も何度も繰り返します。

私は病院の中でも変な噂は絶えませんでした。

本当に死にたくて仕方がありませんでした。

身体の傷より心の傷が痛い。

死の苦しみや痛みが怖いなんて全然思いませんでした。

もういいやーって、、、

社会からも見放され、
同じような精神疾患の患者さんの友達にまで嫌われて、

自暴自棄になりました。

母に八つ当たりして喧嘩も絶えず男並みに暴言を吐いたりして自分でも自分がわからなくなっていました。

しかも病名が変わった訳ではなく、病名の欄に病名が増えてありました、

私は、先生と薬剤師さんも信じられなくなりました。

薬が変わるたびに自分が変わる。なんでだろう。
そう思い昔の自分に戻りたくて仕方がありませんでした。

薬剤師さんにも強く反抗して飲みたくないと、言い争うこともありました。

ハルシオンジェイゾロフトワイパックスデパスエビリファイジプレキサベンザリンリスパダールリーマスパキシルレンドルミンetc

いろいろ薬の調整をしていろいろ試していたんだと思いますが、

先生と薬剤師さんはきっと私が何の病気かずっと分からずにいたのかもしれません。

私はいっぱい病名が変わりました。


こんな感じです。
↓↓↓↓
うつ病適応障害境界性パーソナリティ障害の疑い→双極性同一性障害解離性同一性障害

最後にようやく

『あなたは、統合失調症です』

と言われて障害ではなくて、能の病気と認定されました。

初めて聞いた病名。


しかも、一生治らないと言われました。

病気と認められてはじめて肩の荷が下り楽にはなりましたが、微妙な気持ちでした。

病気と認められるまでに私は約3年くらいかかりました。

とても辛かったです。
そして、長かったなぁと。

5年くらいでやっと私にあったお薬が分かり始めました。

そして安定して自分らしく考えて行動が出来るようになりました。

私がひどかった時の記憶がないのは副作用の中の健忘症だと言われました

副作用の健忘症。薬を飲んでいる時の記憶にないといった副作用の一つです。

一体私は、、、何をしてたのかな。

母に聞いてゾッとしました。

いつの間にかこの病院で私は目立ち過ぎてしまいました。

またかなりの有名人になっていました。

病院を変えたい。
静かな病院に行きたい。

私に適したお薬が見つかり回復してきました

主治医がいつも、
『このまま継続して行きましょう』と励ましてくれたり、

『過去のことについては知らなくていい!』

と言われました。

やっと主治医を信頼出来るようになります。

やがて、主治医に相談して違う病院へ紹介状を書いてもらいました。

ここまでしっかり私を何度も、諦めずにサポートしてくれた先生や看護師さんやスタッフさんやケースワーカーさん達とサヨナラするのは辛かったけど。

私はもう目立ちたくない。
主治医やスタッフみんな病院を変えることについては安定していた為賛成してくれました。

 

統合失調症とは?

統合失調症
前兆期(なんとなくうつ病に近い)

急性期

1.陽性症状
個人差はありますが妄想からくる幻聴と幻覚です。
本人はそれが現実の世界であり、幻聴や幻覚が現実ではないと認識できません。
非常に疲れてしまいます。

どちらが現実なのか区別がつかなくなります。
やがて不眠になり気分も高揚したり、興奮状態や混乱、パニックになります。

2.陰性症状
陽性症状の反動が一気にきます。
疲れて無気力になります。
引きこもりはじめます。意欲の低下。食欲もなくなります。
好きだったものも興味がなくなります。
生きることに疲れてしまいます。
ひたすら自分を責めて寝込みます。

3.回復期
ようやく自分らしい感情が生まれて、正しい判断が出来る時期です。
非常に、デリケートで過敏になるため、ゆっくり休んで身体を休めていなければいけない大事な時期です。
周りに怠けていると思われることもありますが一番デリケートで大事な時期です。

好きなことをして規則正しく徐々にやれるようになります。

ただし、周りの人の理解がなければワガママや怠けているととられて再発する人もいます。油断は禁物です。

4,安定期
自分で自分を管理したり、常識的な
事が分かるようになります。
昔出来た事も少しずつですが思い出しながら出来るようになる時期です。

5.寛解
統合失調症では完治したような状態になっていることを寛解といいます。
いつ再発するか?分からない為
統合失調症の方に完治するなどとは言わないのです。
完治したようにみえるくらいのニュアンスです。

6.予後
その後の、経過などを予後といいます。何もなく経過が順調に良ければ予後が良いと言われます。
反対にその後の経過があまり良くない時や、元気がないなどといった場合は、予後が悪いといいます。

予後とは、安定期が過ぎて3年、5年10年…一生

です。

少しでも、理解していただければ幸いです!

 

でわ、また。

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